ヴァルゴウル国を囲む山脈から吹き降りる風が、春を吹き飛ばすほど冷たい朝だった。寒さで凍える朝がラウリーに訪れた。
広場で起きた惨劇の後を目にして凍り付いた。店の者、宿の者、全てが息子であるレウリーの名を挙げている。
「全て、レウリー様が一人で」
皆が言う。かつてメルジャータと呼ばれた隣国の兵士だった男が斬り殺されている姿を目にしたラウリーは、唇を噛んだ。
「なんという事だ。何故君まで。私が、、誰ひとり命を奪う事なく戦争を終わらせたじゃないか。なのに何故?命を粗末に」
ラウリーは、何も言葉を返さない死者達に問い続けた。
「ここまで来たのは斬られる為ではないだろう? 」
体を震わせ問い続ける。
「なあ、、おい君たち。なあ、、答えてくれよ」
耐えられない激しい痛みが、心優しきラウリーを襲う。あふれ出る涙を止める術を知らない。剣神ラウリー・ウェイブランドが、血塗られた広場に崩れて膝まずいた。
「私は狂人に剣を教えて、刃物を持たせ野放した。私は神などではない!悪魔になってしまった。お願いだ。みんな私を罵ってくれ。全て私のせいだ。死んでも償えない事は解っている。でももう、、生きてなどいられない。耐えられない」
ラウリーが鞘から長剣を引き抜いた。それを見たジョウリーが慌てて叫んだ。
「やめてくれ!父さ」
叫び終える隙も与えず、ラウリーは腹を突き刺した。誰にも止める事が出来なかった一瞬の出来事。直後、泣き叫ぶような激しい雷雨がヴァルゴウルを叩きつけた。ある者が泣きながら呟いた。
「ラウリー様はもの凄く優しいお方だった。その息子が、こんな悪魔のような、、、事を、、す、するなんて」
国の人々が、ラウリーとの思い出をなぞった。涙は爆流のようにヴァルゴウル全てを飲み込んだ。泣かない者は一人。眉間に皺を集め、歯を食いしばるジョウリーただ独り。
ジョウリーは父ラウリーの元へ歩み寄ると、長剣を握る手を引きはがした。腹部に突き刺さる長剣を引き抜き、血を雨で洗い流す。着ている服を破いた布で、濡れる長剣を拭き清め、鞘に収める。黙って長剣を肩に預けてウェイブランド家へと引き返した。
家の自室に戻ったジョウリーは縦長の大きなバッグを手にした。口紐をほどくと、少しばかりの衣類を無造作に詰めた。タンスの引き出しを開き、これまでに貯めた金貨を見つめる。
稽古場に集まる剣士達が、ジョウリーに技を教わった授業料と称してくれた金貨。ポケットの小袋に詰めた。天才的な兄レウリーと違い、ジョウリーは剣の技を磨くのに今でも酷く苦しんでいる。
だから伸び悩む剣士たちの苦しみが十分に理解できた。父ラウリー・ウェイブランドよりも解りやすく、事細かな助言が出来た。
教わった剣士達みんなに感謝された。その日々を想うと涙が溢れ出るのを止められない。声をくぐもらせる為に、ベッドに顔をうずめて泣き叫んだ。
「剣士を目指す者が負けたくらいで泣くな」
遠い日の父の声が聞こえて左手で涙をぬぐい、長剣が収まる鞘のストラップを肩に通した。長剣を背負って床を引きずらせながらキッチンへ出向いた。使用人に頼んで干し肉などの日持ちする食材をバッグに詰めさせた。ジョウリーのただならぬ雰囲気に使用人が問いかけた。
「何があったのですか」
ジョウリーが顔をしかめた。
「ゴビーさん、、広場へ行けば解ります」
少しの間を置いて口を開いた。
「恐ろしい事をして消えたレウリーを追いかけます。偉大なる父ラウリー・ウェイブランドを死に追いやったレウリーを絶対に生かしてはおかない。この世界の終りまでも追いかけて斬り殺す」
ジョウリーは強く心に刻み込んだ。
家を出たジョウリーは茶色の馬の手綱をほどいて跨った。雨は止んでいるが、空はどす黒い雲で覆れている。家の門を抜けると馬の尻を鞭で叩いて走らせた。闇の中、ヴァルゴウル国を離れ山脈を南へ越える一本道を進み出した。
レウリーが多くの剣士を斬り殺し姿を消した。それを知った父親のラウリーが、罪の意識に駆られ自害した。その後、弟のジョウリーが兄レウリーを追いヴァルゴウルを離れた。そこまでをじっと見ていた赤黒い闇ガラスの群れが羽音を騒がしく響かせ飛び去った。